2025年 | プレスリリース?研究成果
異例の不斉軸をもつキラル分子の創出 長く柔軟な炭素―ヨウ素結合の回転制御に成功
【本学研究者情報】
〇大学院薬学研究科 分子設計化学分野
教授 吉戒直彦
研究室ウェブサイト
【発表のポイント】
- 回転しやすい炭素―ヨウ素結合を不斉軸として固定し、新たなキラル分子(注1)の創出に成功しました。
- 開発した分子は、室温で安定なキラリティを保ちつつ、酸に応答して回転速度を制御でき、不斉認識能も示すことが分かりました。
- これまでキラリティとは無縁とされていた結合に着目した成果であり、センサー、触媒、機能性材料への応用が期待されます。
【概要】
その鏡像と重ね合わせることができない立体構造を持つ分子がキラル分子です。分子内の単結合の回転が妨げられると、結合軸の周囲に左右非対称性が生じ、分子がキラルになることがあります。このような構造は「アトロプ異性体」と呼ばれ、不斉合成(注2)や医薬品などの分野で重要です。これまで、安定なキラリティの付与が可能なのは主に炭素―炭素など第二周期元素間の結合で、長く柔軟な高周期元素の結合では困難とされてきました。
東北大学大学院薬学研究科の吉戒直彦 教授、菊池隼 助教らの研究グループは、第五周期元素であるヨウ素を超原子価状態(注3)にすることで、炭素-ヨウ素結合を不斉軸とする安定なアトロプ異性体の創出に成功しました。得られた分子は、室温でのラセミ化半減期(注4)が50年に達する高い安定性を示す一方、結合回転に伴うラセミ化の速度が酸の添加によって制御可能であることが分かりました。さらにこの性質を応用し、キラルな酸を用いた異性体の識別や選別も可能です。本研究はキラル分子設計の新たな地平を拓く成果であり、センサー、触媒、分子機械(注5)などへの応用が期待されます。
本成果は2025年4月4日付で、科学誌Chemにオンライン掲載されました。

図1. アトロプ異性体の背景と今回の研究
【用語解説】
注1. キラル分子
鏡に映したときに元の構造と重ね合わせることができない分子のこと。このような性質は「キラリティ」と呼ばれ、左右の手の関係に例えられることが多い。例えば、人の体を構成するタンパク質は、キラルなアミノ酸の一方の形だけからできている。分子のキラリティは、においや味、薬の効き方などに大きな影響を与える。
注2. 不斉合成
左右の手のように鏡像関係にあるキラル分子(エナンチオマー)のうち、目的の一方のみを選択的に合成する手法のこと。医薬品や機能性材料の開発に不可欠な技術である。本文中で紹介したBINAPは、2001年のノーベル化学賞の対象となった不斉水素化をはじめ、様々な不斉合成手法に利用されている。
注3. 超原子価
元素が、通常の8電子則(オクテット則)から予想される数を超えて複数の結合を持つ状態のこと。主に高周期元素でよく見られ、そのような化合物は超原子価化合物と呼ばれる。ヨウ素は通常1本の結合しか持たないため、アトロプ異性は原理的に生じないが、超原子価構造をとることで、今回のようにアトロプ異性をもつ分子を形成することができる。超原子価ヨウ素化合物は、有機合成における酸化剤や官能基導入剤として広く利用されている。
注4. ラセミ化半減期
ラセミ化とは、片方のエナンチオマーのみからなる試料が、両方のエナンチオマーの等量混合物(ラセミ体)へと変化する現象。ラセミ化半減期は、その過程において、エナンチオマーの過剰率(ee)が初期値の半分に減少するまでにかかる時間を指す。詳細な物性解析や実用的な応用を行うには、室温で1年以上のラセミ化半減期が必要とされる。なお、eeの減少は指数関数的に進行するため、半減期が50年の場合でも、ほぼ完全なラセミ体(eeが1%未満)に至るまでには300年以上かかる。BINAPのラセミ化半減期は1016年に達するとされており、今回のように高周期元素を用いたアトロプ異性体の設計がいかに困難であるかを物語っている。
注5. 分子機械
外部刺激に応答して、動作や構造変化を行う機能をもたせたナノサイズの分子のこと。医療や材料分野への応用が期待されており、2016年にはノーベル化学賞の対象にもなった。本研究にも登場したような、回転可能な結合(ローター)とそれを制御する"ブレーキ"(置換基)や"アクセル"(外部刺激)といった要素は、分子機械を構成する部品として広く利用されている。
【論文情報】
タイトル:Stable and responsive atropisomerism around a carbon-iodine bond
著者: Shohei Abe, Jun Kikuchi,* Arimasa Matsumoto, Naohiko Yoshikai*
*責任著者:東北大学大学院薬学研究科 教授 吉戒直彦、助教 菊池隼
掲載誌:Chem
DOI:10.1016/j.chempr.2025.102527
問い合わせ先
(研究に関すること)
東北大学大学院薬学研究科
教授 吉戒直彦
TEL: 022-795-6812
Email: naohiko.yoshikai.c5*tohoku.ac.jp
(*を@に置き換えてください)
(報道に関すること)
東北大学大学院薬学研究科 総務係
TEL: 022-795-6801
Email: ph-som*grp.tohoku.ac.jp
(*を@に置き換えてください)
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