2025年 | プレスリリース?研究成果
脳内エネルギーのダイナミクス てんかん発作時の代謝分子動態の解析を通して
【本学研究者情報】
〇生命科学研究科 教授 松井広
研究室ウェブサイト
【発表のポイント】
- 生存に必須のエネルギー源ATP(注1)濃度は一定と考えられていましたが、てんかん(注2)発作に伴い、マウスの神経細胞内ATPは大きく減少しました。
- 初めてのてんかん発作時、細胞内ATPはてんかんの突然死(注3)時の半分ほどまで減少し、過剰な代謝的負荷が生じました。
- てんかん発作時、アストロサイト(注4)内のピルビン酸(注5)が増加しました。これにより、アストロサイトからのエネルギー供給が減少し、アストロサイト内でピルビン酸が貯留し、神経細胞内ATPが減少することが示唆されました。
- 発作を繰り返すと、さらに過剰なてんかん様神経発振が見られる一方で、神経細胞内ATPの減少幅はむしろ小さくなりました。これは、血流量の増加によって神経細胞へのエネルギー供給が増えるためだと考えられます。
【概要】
細胞エネルギー源であるATPは生存に必須であり、その濃度は通常大きく変動しないと考えられてきました。東北大学大学院生命科学研究科の古川孝太大学院生と松井広(こう)教授(大学院医学系研究科兼任)らのグループは、てんかん発作による代謝的負荷をかけた際のマウス神経細胞内ATP、アストロサイト内ピルビン酸、および血流量の変動を解析し、脳内でのエネルギーの流れを決定する要因を探ることに挑戦しました。研究グループは、ATP、ピルビン酸、血流量に対する蛍光センサー(注6)を用いた新規解析法を開発し、マウスの脳内エネルギーのダイナミクスを調べました。その結果、てんかん発作時に神経細胞内ATPが大きく減少し、神経細胞へのエネルギー供給が一過性に遮断される可能性が示唆されました。脳内エネルギーの供給と消費のダイナミクスを解析することで、脳の情報処理を支える仕組みが解明され、脳病態の治療戦略の開発につながることが期待されます。
本成果は2025年3月20日付でJournal of Neurochemistry誌に掲載されました。

図1. マウス脳内の代謝エネルギーのダイナミクス。海馬を電気刺激すると、てんかん様の神経発振が脳波(EEG)電極で観察されました(after discharge; AD)。アストロサイト特異的にFRET型蛍光ピルビン酸センサー(PYRS)を発現するマウスの海馬に挿入した光ファイバーでは、複雑な蛍光波形が記録されました。PYRSでは、ピルビン酸濃度が増加するほどFRET効率が低下することが知られています。蛍光センサーに対する血流量や細胞内pH変動の影響を考慮してアストロサイト内ピルビン酸濃度動態を推定した結果、てんかん発作時にピルビン酸信号が上昇することが示されました。一方、神経細胞特異的に発現させたFRET型ATPセンサー(ATeam)では、ATP濃度が増えるほどFRET効率が上昇します。神経細胞内のATP濃度動態も同様に推定した結果、てんかん発作時にはATP信号が減少することが示されました。これらの結果から、てんかん発作時にアストロサイトから神経細胞へのエネルギー分子の受け渡しが減少した可能性が示唆されました。
【用語解説】
注1. ATP: アデノシン三リン酸(ATP)は、生物の細胞内でエネルギー通貨として機能しています。ATPからリン酸がひとつ外れてアデノシン二リン酸(ADP)になる際に発生するエネルギーが、さまざまな細胞機能に利用されます。一方、細胞内で最も効果的にATPが生成される経路としては、好気的解糖(酸素を利用するエネルギー産生経路)が挙げられます。細胞外のグルコースを取り込んだ細胞は、解糖系によってこれをピルビン酸に変換し、ピルビン酸は細胞内のミトコンドリアに取り込まれ、クエン酸回路を経てNADHやFADH?(還元型補酵素)が生成され、電子伝達系を介してATPが多量に生成されます。このように、細胞内のATP濃度は供給(生成)と消費のバランスによって維持されていますが、ATPは生体内のすべての細胞の機能と生存に必要不可欠なエネルギー分子であるため、生理的な状況下ではその濃度が一定に保たれていると考えられてきました。
注2. てんかん: てんかんとは、脳が一時的に過剰に興奮することにより、意識を失ったり、けいれんを引き起こしたりする発作を伴う病気です。てんかん発作では、脳の神経細胞で過剰な電気的興奮が生じ、脳波計で記録すると多数の神経細胞が周期的に活動する様子が確認できます。このような神経活動は「神経発振」と呼ばれることがあります。てんかんの原因はさまざまで、遺伝的要因、脳の損傷、発達異常、感染症、脳腫瘍、脳血管障害、外傷などが関与していると考えられています。てんかんには、発作を一度または数回経験する人から、頻繁に発作が起こる人まで、重症度に差があります。また、けいれん発作が繰り返されることで、てんかんが増悪化する場合も多いことが知られています。てんかんは人口の約1%が罹患する脳の疾患であり、世界中で研究が進められていますが、てんかん発作時の脳内の代謝エネルギー分子の動態についてはほとんど知られていませんでした。
注3. てんかんの突然死: てんかん患者の中には外傷や溺死が原因ではなく突然、予期せぬ死を迎えるケースがあります。このようなてんかんの突然死(sudden unexpected death in epilepsy; SUDEP)は、てんかん関連死の中で最も多く、年間1,000人に1~2人程度のてんかん患者が死亡しています。しかし、なぜてんかんの突然死が起こるのかは現時点では解明されていません。本研究では、動物実験における倫理的な配慮から、マウスにおけるてんかんの突然死をできるだけ避ける方策を取っていたにもかかわらず、3例のSUDEP事例に遭遇しました。細胞死に伴い細胞内ATPが大幅に減少することが予想されるため、これらのマウスで記録されたSUDEP事例は、細胞内ATPセンサーの機能性を補償する機会となるとともに、通常のてんかん発作時におけるATP濃度減少幅に関しても有益な指標を提供する貴重な機会となりました。
注4. アストロサイト: 脳実質を構成する神経細胞以外の細胞はグリア細胞と呼ばれ、脳内には神経細胞に匹敵する数のグリア細胞が存在します。グリア細胞は、大きく分けて、アストロサイト、ミクログリア、オリゴデンドロサイトに分類されます。脳内での情報処理は、膨大な数の神経細胞が構成するネットワークによって実行されていると考えられています。一方、グリア細胞は、神経組織を構造的に支え、神経細胞に栄養因子を受け渡すためだけの細胞群として長らく考えられてきました。しかし近年、グリア細胞が神経回路の動作はさまざまな影響を与えることが報告されています。アストロサイトはグリア細胞の中で最も多く、脳内の血管と神経細胞間のシナプス両方に突起を伸ばしているため、特に神経情報処理と関連が深いと考えられています。アストロサイトは周囲の神経細胞の活動に反応し、伝達物質を放出したり、イオン濃度を調節したりすることで神経回路の動作に影響を与えます。さらに、アストロサイトは単に神経活動に受動的に反応するだけでなく、能動的に神経細胞の働きを制御する可能性が指摘されています。
注5.ピルビン酸: アストロサイトは血管からグルコースと酸素を受け取ります。受け取ったグルコースは解糖系によりピルビン酸に変換されます。したがって、血管からのグルコース供給量が増えると、ピルビン酸も増加すると考えられます。さらに、ピルビン酸は乳酸に変換され、モノカルボン酸トランスポーター(MCT)を介してアストロサイトから外へ排出されます。排出された乳酸は神経細胞のMCTを介して取り込まれ、最終的には神経細胞のエネルギー生産に利用されると考えられています(アストロサイト-神経間の乳酸シャトル仮説)。したがって、アストロサイトのMCT機能が低下すると、乳酸の排出が滞り、アストロサイト内に乳酸やピルビン酸が蓄積される可能性があります。
注6.蛍光センサー: 本研究においては、神経細胞内のATP濃度(ATeam)、アストロサイト内のピルビン酸濃度(PYRS)を反映するFRET型蛍光センサーを用いました。ATeamについては、ライプツィヒ大学のJohannes Hirrlingerらによる既報がありますが、PYRSは理化学研究所の新野祐介研究員、宮脇敦史チームリーダーらによって新規開発されたプローブです。また、血流量の変動は、血管内に蛍光色素Texas Redを流すことで計測しました。
【論文情報】
タイトル:Dynamics of neuronal and astrocytic energy molecules in epilepsy
著者:Kota Furukawa, Yoko Ikoma, Yusuke Niino, Yuichi Hiraoka, Kohichi Tanaka, Atsushi Miyawaki, Johannes Hirrlinger, Ko Matsui*
筆頭著者:東北大学大学院生命科学研究科超回路脳機能分野 博士課程大学院生 古川孝太
*責任著者:東北大学大学院生命科学研究科超回路脳機能分野 教授 松井広
掲載誌:Journal of Neurochemistry
DOI:https://doi.org/10.1111/jnc.70044
問い合わせ先
(研究に関すること)
東北大学大学院生命科学研究科
教授 松井 広(まつい こう)
TEL: 022-217-6209
Email: matsui*tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
(報道に関すること)
東北大学大学院生命科学研究科広報室
高橋 さやか(たかはし さやか)
TEL: 022-217-6193
Email: lifsci-pr*grp.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
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