2024年 | プレスリリース?研究成果
【TOHOKU University 虎扑电竞er in Focus】Vol.026 災害被災地域住民のメンタルヘルス支援
本学の注目すべき研究者のこれまでの研究活動や最新の情報を紹介します。
東北大学大学院医学系研究科/災害科学国際研究所 富田 博秋 教授
大学院医学系研究科/災害科学国際研究所 富田 博秋(とみた ひろあき)教授
2024年の年明け早々、能登半島で最大マグニチュード9.0の大地震が発生し、大きな被害が出ました。大津波警報が出て避難を呼びかけたNHKのアナウンサーは、「逃げること!」と強い口調で繰り返すとともに、「東日本大震災の津波を思い出してください!」という言葉もはさみ込んでいました。多数の犠牲者を出した大震災の教訓に学んだアナウンスでした。
しかし、災害精神医学が専門の富田さんによれば、東日本大震災の被災者の中には、このアナウンスを聞いて当時の映像がフラッシュバックし、「まいった」と打ち明ける人もいたそうです。
被災者のメンタルヘルス
被災時に自身が体験した恐怖や親しい人の死によって大きなストレスを受けた被災者の「こころのケア」の重要性が認識されたのは、1995年に起きた阪神?淡路大震災でのことでした。災害時のメンタルヘルスの必要性は、それ以前はあまり認識されていませんでした。富田さんは、兵庫県内の病院に勤務していて被災し、そのときは病院の留守部隊を務めていました。そしてその16年後の2011年3月11日、仙台で東日本大震災を経験しました。
当時、富田さんは、東北大学大学院医学系研究科精神?神経生物学分野の准教授として、大学病院で外来診察をすると同時に、精神疾患の生物学的研究に従事していました。発災後、行政からの要請で「こころのケアチーム」がすぐに結成され、富田さんもその一員として仙台市沿岸地区のメンタルヘルス救援に入りました。
全国の多くの精神保健福祉従事者がすぐに動いたのは、阪神?淡路?震災以降、2004年の新潟県中越地震等を経て、災害時のメンタルヘルスが必要という意識が高まっていたからです。3月22日には、その時点でこころのケアチームが入っていなかった七ヶ浜町に町役場の要請で入りました。七ヶ浜町は松島湾の南側に迫り出した七ヶ浜半島を占める小さな町です。富田さんはその地区のメイン担当者となり、日替わりで救援に入るメンバーと一緒に毎日、避難所や倒壊家屋の住民のケアにあたることになりました。
医療現場での経験しかなかった富?さんにとって、被災地に入ってのケアは初めての経験でした。精神面で不調を来してケアを必要としている人たちのところに行って?談し、対応することをイメージしていたのですが、大きく異なっていました。指定された避難所に?ってももうそこには誰もいなかったり、メンタルヘルスとは直接関係のない情報や用件のために動くこともしばしばでした。災害直後に住?の?から自らの心のケアで援助を求められることはそう多くはありませんでした。しかし、災害によって心のケアが必要な人が出てくるので、そのためにできることがないか様子を見に来た旨話をすると、?分は?丈夫だけど気にかかる人はいるし、町の?はみな?変そうだという話になり、しばらくするとじつは?分もつらいんだという話が出てきたそうです。
七ヶ浜町は6mの津波に襲われ、人口2万2000人のうち70人を超える死者?行方不明者が出ました。6月22日に仮設住宅が完成した後は、仮設住宅の集会所を訪ねたり、個別に話を聞くことになりました。お年寄りの中には1960年に発生したチリ地震津波を覚えていて、いち早く高台に避難した人も多かったそうです。
被災した住?のメンタルヘルスも気になりますが、被災地で救援や復旧にあたる?政職員のメンタルヘルスの問題も見落とされがちながら重要です。職員??も被災している中、発災当初は休むわけにもいかず過重労働となる上に、思うように被災者?援がうまくいかないフラストレーションが重なり、時には住民のフラストレーションがぶつけられることもあります。2011年にアメリカで『災害精神医学』という包括的な教科書が出版され、2015年に日本語訳を出版しましたが、この中には被災直後の行政職員の働き方を事前に取り決めて備えておくことなど示唆に富む内容が記載されており、今後本邦における体制にも反映していくことが望ましいと思われます。
また、東日本大震災では、精神科医療機関での被災状況の確認や救援が遅れる等の課題も残されました。厚生労働省は、発災から2年後の2013年に、災害により機能が低下した精神科医療保健体制の支援や被災者のメンタルヘルスケアを迅速かつ組織的に行う専門的なチーム「災害派遣精神医療チームDPAT」の体制を発足させ、その活動要領をまとめました。DPATは能登半島地震にも派遣されており、東北?学?宮城県立精神医療センターの合同チームも参加しています。
中長期的なケアの必要性
人は、突然の出来事により、自分自身の命が危険にさらされたり、目の前の人がなくなる現場に立ち合ったり、たくさんの遺体を目の当たりにすることで心的外傷(トラウマ)を抱えることがあります。そのほか、親しい人を突然喪失することに対する心身の反応である悲嘆反応に加え、住み慣れた家や財産、それまでの習慣が根こそぎ喪失することに対しても同様の悲嘆反応が生じることが示唆され、また、災害後長期に渡って生じる居住環境や学習環境の変化、社会からの孤立によるストレスもあります。災害の後、心的外傷の心身への反応や抑うつ状態が顕著な場合、心的外傷後ストレス障害やうつ病等の診断がなされる人も増えますが、より多くの人は診断に至ることはないまでも、地域の多くの人は一定以上の心的外傷の心身への反応や抑うつ状態を呈することになります。しかも、能登半島地震時の津波避難アナウンスを聞いたときのように、時間が経ってからでも様々なきっかけでストレス反応が蘇ることもあります。
富?さんは、町役場からの要請を受け、町と東北大学との共同事業として、七ヶ浜町?や町役場職員の??の健康増進を?指す「七ヶ浜町健康増進プロジェクト」を2011年に開始しました。?規模半壊以上の家屋被害にあった?全員3000名余りを対象とした毎年秋の調査もその?環です。調査の中では、心的外傷の後にその記憶が蘇ってきて情動??律神経系の反応が出たり、当時のことを思い出すようなきっかけを避ける?動をとったり、ちょっとしたことでドキッとしたりする兆候の総称である心的外傷後ストレス反応(Posttraumatic stress reaction: PTSR)の程度を評価する改訂版出来事インパクト尺度(Impact of Event Scale - Revised:IES-R) を毎年とっています(下図)。
発災から翌年までは、大規模半壊以上の家屋被災にあった人のうち、一定以上のPTSRを呈する人が3人に1人くらいいましたが、その後、年々減少し、2021年には7%程度になりました。ただしそれでも東日本大震災で大規模半壊以上の家屋被災にあった人の人口を考えると、10年後の割合も少ないとはいえません。
心理的苦痛の指標(抑鬱や不安などを総合した指標)を見ると、2011年は半数の人が強い心理的苦痛を抱いていました。その後は減ったのですが、2014年?2017年にかけて再び頻度が増えたそうです。その原因は、2014年は災害復興住宅ができて高台移転が始まった年だったことと関係があるというのが富田さんの解釈です。
それまで住んでいた仮設住宅は、壁が薄い、狭い、結露が出るなど、当初は不評でした。それでもやがてそこでは孤立しにくい密な人間関係が成立しました。それが移転により、それまで体験を共有していた人たちと別れることになったのです。住環境は改善されましたが、仮設住宅でできていたコミュニティがなくなったことで、逆に孤立感が高まる結果となったようです。実際、仮設住宅はよかった、今は孤独だという感想が聞かれるようになったそうです。人との交流がない人ほど、眠れなかったり、気分が沈んだり、トラウマの影響を受けやすくなります。
子どもたちのケアも大切です。子どもは言語化ができない分、行動に影響が出やすくなります。周囲の大人が不安にとらわれていると、その影響を受けやすいということもあります。宮城県名取市の全小中学校の生徒を対象とした調査では、課外活動への参加ができないことでメンタルヘルスに影響が出るという結果が得られているそうです。
災害に備える普及啓発、保健師とコミュニティのリーダーをつなぐネットワーク構築も大切です。支援体制の事前の準備、緊急時の人の手配とローテーション、特別予算がついた場合の振り向け先なども用意しておく必要があります。これについては、災害時の現場での組織マネージメントを標準化したアメリカ発の管理システム、インシデント?コマンド?システムが参考になるとのことです。
富田さんは、七ヶ浜町健康増進プロジェクトを続けることで、被災者のメンタルヘルスに対する10年後、20年後の影響を調べ、そのデータを今後の対策に役立てたいと思っています。そのほか、将来、災害時にも活用できるようになるようウェラブルデバイスでメンタルヘルスを可視化する研究を進めています(下図)。また、東北?学東北メディカル?メガバンク機構で集めている生体情報を用いて災害ストレスがかかった際にPTSRやうつ状態を来すリスク評価を行う研究や、モデル動物を用いた生体メカニズムの解明研究(下図)も並行して進めています。
文責:広報室 特任教授(客員) 渡辺政隆
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