2020年 | プレスリリース?研究成果
【TOHOKU University 虎扑电竞er in Focus】Vol.013 猫のしっぽを追いかけて―細胞内の品質管理機構の謎を解く―
本学の注目すべき研究者のこれまでの研究活動や最新の情報を紹介します。
薬学研究科 井澤 俊明 助教
薬学研究科 井澤 俊明 (いざわ としあき)助教
井澤さんは、これまでシロイヌナズナ(植物)、ゼブラフィッシュ(魚)、出芽酵母(菌類)を研究材料にしてきました。名古屋大学の学部生時代は花が開花する仕組みを研究する研究室に所属し、大学院の博士前期課程では動物の初期発生、後期課程では細胞小器官(オルガネラ)を扱う研究室へと、研究分野を変えてきたのです。植物を調べているうちに動物のことが知りたくなり、動物の発生を調べているうちに細胞の中で起こっていることに興味が湧いたのだそうです。そして今は、「猫のしっぽ」を追いかけています。
細胞内のタンパク質生成工場
細胞の中では、生きていくうえで欠かせないタンパク質が必要に応じて生成されています。タンパク質生成の第一歩は、DNAの遺伝情報がメッセンジャー(伝令)RNAに転写されることから始まります。タンパク質の生成は、メッセンジャーRNAを鋳型にして行われます。リボソームという装置がその鋳型にあたる、個々のアミノ酸を指定している遺伝暗号(コドン)を読み取り、トランスファー(運搬)RNAが運んできたアミノ酸をコドン配列の順番に従って結合させることでタンパク質のもと(新生ポリペプチド鎖)が生成されるのです。リボソームで進行するこの過程を翻訳といいます。リボソームで生成された新生ポリペプチド鎖は、たとえばミトコンドリアなど、それを必要とする部署に運ばれます。
この生成過程が整然と行われる仕組みは、高等学校の生物で学んだとおりです。生命を維持する仕組みは、じつによくできています。しかし、じつは転写?翻訳ではエラーもよく起こっているということは、高校では学ばなかったかもしれません。
メッセンジャーRNAに写し取られた遺伝情報には、アミノ酸の結合を終了させて一定の長さの新生ポリペプチド鎖を完成させるための停止命令が入っています。終止コドンという信号がそれです。この終止コドンがないと、アミノ酸の結合がだらだらと続けられ、不良品が生成されてしまいます。しかもこの、終止コドンのないメッセンジャーRNAは、一定頻度で生じます。そうするとリボソームがエンスト(停滞)を起こしてしまいます。
たとえば細胞のエネルギー工場にあたるミトコンドリアには、およそ1000種類のタンパク質があります。それらは、リボソームで生成され、ミトコンドリアの膜にある穴から運び込まれます。リボソームが停滞すると、異常なタンパク質ができるせいでその穴が詰まってしまい、ミトコンドリアが機能しなくなってしまいます。井澤さんは、このような機能不全が起きる仕組みを博士論文にまとめ、博士研究員としてミュンヘン大学に留学しました。2012年のことです。
異常なタンパク質が生じて細胞が機能不全に陥ってしまうのを防止するために、細胞には、セキュリティチェックにあたる品質管理機構が備わっています。その仕組みを調べていた井澤さんは、その仕組みに関係するVms1とLtn1という2つの遺伝子を働かなくする(つぶす)とミトコンドリアに異常が現れることを発見しました。
Ltn1については、異常な新生ポリペプチド鎖を分解する働きがあることがわかりました。しかしこの遺伝子1つをつぶしても、細胞は元気なままでした。その一方で、Vms1の働きはわかっていませんでした。
不可思議な猫のしっぽ
その頃、別の研究グループが奇妙な現象を発見しました。リボソームでのポリペプチド鎖の新生が停滞しても、ポリペプチド鎖が一方向に伸長されていく現象です。それにはメッセンジャーRNAの鋳型はいっさい関係しておらず、Rqc2というタンパク質がポリペプチド鎖のC末端という側に2つのアミノ酸、アラニン(A)とスレオニン(T)だけをランダムに結合させていくのです。そうやって伸長したポリペプチド鎖は、Cの端にAとTが伸びているという意味でCATテール(猫のしっぽ)と名付けられました。
この不思議なCATテールについては、なぜこの2つのアミノ酸だけが付加するのか、何個まで付くのかなど、まだわかっていないことだらけです。ただ、現存する真核生物に普遍的に存在する現象と考えられているので、未知の重要な役割を担っている(あるいは過去に担っていた)のかもしれません。
研究を進めていた井澤さんは、Rqc2をつぶすと、Vms1とLtn1をつぶした場合に生じる異常が回復することを発見しました。そこで実験的に終止コドンがないメッセンジャーRNAから作られたポリペプチド鎖を使って解析したところ、Ltn1が欠損しているとポリペプチド鎖の凝集体が形成される一方で、Rqc2が欠損していると凝集体が消えることがわかりました。しかも、CATテール付きのポリペプチド鎖がミトコンドリアに運ばれると、凝集体が形成されてミトコンドリアの機能が破綻しました。Rqc2の存在がミトコンドリアにとっては危険な存在であることを発見したのです。
さらに詳しく調べると、Vms1はリボソームに結合し、CATテールの付加を抑制することもわかりました。保たれていたバランスが崩れると、CATテールが暴走し、ミトコンドリアが機能不全に陥るため、CATテールが付いたポリペプチド鎖がミトコンドリア内に入りこむ前に阻止する仕組みがあったのです。この研究成果は、「ネイチャー」誌に掲載され、世界の注目を集めました。
それにしても、CATテールを生成するRqc2がなぜ存在するのかは謎です。その存在は、百害あって一利なしに見えるからです。そもそも、真核生物の細胞に存在するミトコンドリアは、太古の昔に真正細菌がアーキア(古細菌)の内部に共生することで進化したと考えられています。
じつは、ミトコンドリアをもたないアーキアにもRqc2が存在しています。その一方で、アーキアにはVms1がありません。Vms1をもっているのは真核生物だけなのです。この事実関係を考え合わせると、ミトコンドリアになった真正細菌は、細胞共生をした段階でその遺伝子を核に移動させ、細胞質でタンパク質を作らせて取り込む方式を採用し、そこで生じる不都合を解決するためにVms1を新たに獲得したのかもしれません。井澤さんは、この謎を解くことにも取り組んでいます。
学生時代に何度かテーマに迷いを感じた井澤さんですが、留学先のドイツで研究するうちに、研究者としての姿勢と覚悟が定まったそうです。最初は留学に消極的でしたが、今は、背中を押してくれた恩師や留学先の今は亡き恩師には感謝してもしきれないと語ります。猫のしっぽを捕まえることがその恩返しになりそうです。
文責:広報室 特任教授 渡辺政隆
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