2020年 | プレスリリース?研究成果
【TOHOKU University 虎扑电竞er in Focus】Vol.011 学ぶ力を育てる教育 ―AIに負けないために―
本学の注目すべき研究者のこれまでの研究活動や最新の情報を紹介します。
教育学研究科 渡部 信一 教授
教育学研究科 渡部 信一 (わたべ しんいち) 教授
人工知能(AI)の発達には目を見張るものがあります。かつては人間が組み込んだプログラムの枠内で作動していたAIですが、今や、AIは深層学習(ディープラーニング)を実行することで自らどんどん"賢く"なっていっています。このプロセスは、ある意味で人間の自然な学びを模倣したものです。ところが従来の「近代教育」の考え方は、必ずしもそのようなプロセスを重視したものではありませんでした。渡部さんは、そのことに違和感を抱き続けてきました。
失語症治療の体験からアトム的な学習へ
東北大学教育学研究科博士前期課程を修了した渡部さんは、国立療養所宮城病院(現在の国立病院機構宮城病院)の心理言語療法士となりました。そこでの仕事は、脳損傷によって言語機能に障害を抱えた患者さんの訓練、検査、指導でした。
そこで受け持った患者さんの一人に軽度の失語症の方がいました。症状としては、娘さんの名前や地名など、ちょっとしたキーワードが思い出せないことでした。たとえば、言語訓練室を訪れたその患者さんは、病室で検温してきたと渡部さんに伝えようとして、「体温」という言葉がどうしても出てきませんでした。ところが、後日、病室で見かけたその人は、渡部さんに向かって、何の苦もなく「体温」という言葉を口にしたのです。病室では当たり前に出る言葉が、訓練室では出てこない。いったいどういうことなのでしょう。
これは、言語能力に障害をもつ患者さんにとっては、日常的な文脈では苦もなく使える言葉でも、文脈から外されると、意味をもたない単なる記号と化してしまうことを意味していました。そのせいで、口をついて出てこないのです。言語療法士としての4年間で、渡部さんは認知機能と学習活動について、多くの示唆を得たそうです。
1988年から福岡教育大学で特別支援教育と教員養成を受けもつことになった渡部さんは、自閉症児教育の研究を開始しました。その中で出会ったのが、4歳の自閉症児、晋平君でした。晋平君は、言語を理解することも発することもできず、母親と視線を合わせることもない「重度」の自閉症でした。
それまでの自閉症児の教育方針は、できるだけふつうに近い社会生活を行う上で必要な一連の行動を一つずつ覚えてクリアしていくよう教育するというものでした。いうなれば、教員や保護者が準備した「療育マニュアル」に従って、階段を一段階ずつ登らせていたのです。
これは、たとえるならコンピュータのプログラムを組むようなものです。この場合、プログラマーが想定した範囲内(フレーム内)では正常に作動しますが、想定外の状況にはうまく対応できません。かつてのAI開発が直面した「フレーム問題」がこれでした。
渡部さんには、そのようなプログラミング的な「訓練」指導に違和感がありました。子どもたちが日常生活を送る上で有効な教育方法とは思えなかったからです。そこで思い浮かんだのが、鉄腕アトムでした。アトムはもちろん未来のAIロボットですが、人間社会の中で戸惑いながらも成長していきます。
晋平君の母親の思いも、渡部さんを動かしました。せめて、人に「ありがとう」と言える子になってほしいというのです。感謝の気持ちを伝えられれば、人とのコミュニケーションが少しはうまくいくことでしょう。本来、「ありがとう」という言葉は、感謝の気持ちの発露であって、コミュニケーションをスムーズにするために発すべき記号ではないはずです。しかし従来のプログラミング的な指導法で行う「ありがとう」を言うための言語訓練は、少し違うのではないか。それが、渡部さんが抱いたわだかまりでした。失語症患者を相手にしたときのかつての経験も関係していたかもしれません。
そこで渡部さんと晋平君の母親は、言語訓練ではなく、「丁寧な子育て」を意識することにしました。発話などの「目に見える能力」ではなく、「見えにくい能力」を重視して育てる教育を目指すことにしたのです。具体的には、日常生活の中で無理強いすることなく、さまざまな状況での「コミュニケーション」を設定しながらたくさんの経験をさせ、晋平君の自発的な意思表示を促すというものでした。
そうした教育方針が功を奏し、小学校入学以降に少しずつ社会性が出ていた晋平君は、小学校4年時の夏休み最後の日に、突如、自発的な「指書」を開始しました。指書とは、相手の手のひらに指で字を書くことです。晋平君はその後、目を見張るような成長を遂げました。
その成果をまとめたのが最初の著書『鉄腕アトムと晋平君─ロボット研究の進化と自閉症児の発達─』(1998)です。従来の特別支援教育には必ずしも沿わない内容でしたが、自閉症児を持つ多くの保護者に受け入れられました。
AIとの共存を目指す教育
1998年に母校東北大学に着任したときに渡部さんに課せられた使命は、「インターネットを活用した子育て?教育支援システム」の開発でした。具体的には不登校児や障害児を抱える保護者に対して、インターネットを活用することでどのような支援が可能かを探求するための実証実験を実施する試みで、「ほっとママ」プロジェクトと名付けました。
このプロジェクトでは、インターネット上にQ&A方式のデータベースを置くと同時に、3段階のカウンセリング(発達相談)の窓口を設けました。コンピュータによるバーチャル?カウンセリング、テレビ電話によるカウンセリング、対面式カウンセリングの3段階です。運用を開始した2000年4月からの1年間で50万件あまりのアクセスがあったそうです。当時のインターネット環境では限界もありましたが、当初の目標は達せられました。
この経験を基に、渡部さんは、2002年4月に開設された東北大学インターネットスクールの立ち上げに関わりました。正規の授業を全学規模で配信するというチャレンジングな企てでした。遠隔授業はどうしても受け身的になりがちですが、そこで主体的に学ぶにはどうすればよいのか。渡部さんの研究テーマは広がっていきました。
その問題意識から発展させたのが、モーションキャプチャやバーチャルリアリティなどの先端テクノロジーを活用した伝統芸能や舞台での演技の学びを研究するプロジェクトでした。その後、渡部さんは、インターネット授業における評価に関する問題を、教育者と学習者、両方の側から検討する課題にも取り組んでいます。
新型コロナウイルス感染症により、世界中で遠隔授業が余儀なくされています。こうした想定外の出来事に対処するためにも、教育の多様性と主体的に学ぶ能力がますます求められることになると、渡部さんは考えています。
文責:広報室 特任教授 渡辺政隆
研究成果は専門論文だけでなく一般書のかたちでも積極的に発信してきた
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